東京オリンピック2020の競技会場を動かした

~葛西臨海公園カヌースラローム競技会場の活動を振り返る~

落合 はるな(葛西臨海公園探鳥会 担当)

 コロナウイルスの感染状況が落ち着いた今となると、もう遠い記憶のようにも思えてきますが、今年の夏は東京オリンピック2020が開催されましたね。無観客となったことであっさりと過ぎ去ってしまった印象のあるオリンピックですが、私たちの会の活動で、競技会場の計画が変更されたことをご存じでしょうか。この機会に、当時の活動について振り返ってみたいと思います。野鳥を楽しむコラムとは毛色が異なるものですが、よかったらお付き合いください。

  


 

 

 きっかけは2009年頃に、葛西臨海公園に立てられたある看板に気付いたことでした。それは2016年の招致を目指すオリンピックにて、カヌースラロームの競技施設の計画地であることを知らせるためのものでした。当時はカヌーという競技自体を全く知らなかったし、オリンピックの招致活動が始まったとニュースで見た程度の段階でしたので、まさに寝耳に水でした。

  

2009年に園内に設置された看板
2009年に園内に設置された看板
当初の計画は園内を大きく改変するものでした   引用元:2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会初期段階環境影響評価書
当初の計画は園内を大きく改変するものでした   引用元:2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会初期段階環境影響評価書
当時の計画イメージでは、海に背を向ける形で観戦スタンドが建てられるものでした  引用元:2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会初期段階環境影響評価書
当時の計画イメージでは、海に背を向ける形で観戦スタンドが建てられるものでした  引用元:2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会初期段階環境影響評価書

 

 調べてみますと、私たちが月例探鳥会で小鳥類などを観察していた樹林を含む、公園の3分の1を改変して、激流を流す人工の競技コースと、1万人を収容する観戦スタンドを建設する計画でした。公園の「再開発」とも言える計画が突然降って湧いたことに、非常に驚いたことを覚えています。

 

 葛西臨海公園は、埋め立て造成地の公園ではありますが、当時は開園から20数年が経過しており、東京都心部では有数の規模の緑地と言えました。オオルリ、キビタキなどの夏鳥の渡りや、シロハラ、アオジなどの冬鳥の越冬など、多くの野鳥が確認されていましたし、昆虫、両生爬虫類、植物なども東京区部では貴重なものが確認されていました。また、子どもが気軽に生きものと触れ合うことができる池や草原もあることも重要です。普段何気なく野鳥観察をしていた場所を、いろいろな視点で見つめると、この環境の大切さが改めて認識できたような気がします。

 

自然環境の大切さを訴えるための写真は、子どもたちにとって貴重な自然環境であることを印象づけるものを選びました  提供:葛西東なぎさ・鳥類園友の会
自然環境の大切さを訴えるための写真は、子どもたちにとって貴重な自然環境であることを印象づけるものを選びました  提供:葛西東なぎさ・鳥類園友の会

  

 2009年9月に、東京はオリンピックの開催都市から落選し、ブラジルのリオが選定されたことで、一時は事態が収まったと思い安心していました。しかし2012年には、2020年のオリンピックに再び立候補するというニュースが耳に入り、前回と同じように葛西臨海公園がカヌースラロームの競技会場として計画されていることを知りました。

 

 そこで私たちは東京都に対して、オリンピック競技会場計画の変更を求める活動を始めました。当初の活動は地道なもので、度々都庁へ行き、東京都知事あての要望書の提出や、東京都との担当者との協議を計10回も行いました。さらに、国際オリンピック連盟(IOC)へ直訴状も送りました。ちなみに書面は英語のほか、フランス語も作成する必要がありましたが、メンバーの仕事の人間関係まで使って、なんとか翻訳できる方を探すことができました。IOCからの反応は迅速で、なんと12日後には「情報提供に感謝する」と書かれた返信書簡が届きました。その後IOCの委員がバスに乗って視察に来た際には、大きな紙を掲げてアピールしたこともあり、その後の視察レポートには「葛西臨海公園の自然環境への配慮が必要である」という追加コメントが記載されました。

 

視察する国際オリンピック連盟(IOC)の委員へ向けたアピールにて、委員がバスの中から手を振ってくれました

 

 反対運動と言えば署名活動が思いつきますが、多くの人を巻き込む大ごとになることから、すぐには踏み切れませんでした。そこでまずは団体署名として、地元葛西から全国までの取組みに賛同してくれる129団体を集めました。また、知事選や都議会選挙の際には各候補者や各会派へ公開質問状を出し、その解答結果を公表しました。ここまで本格的な活動に取り組んだのは当会としては初めてでした。普段は一緒に探鳥会を担当しているメンバーで、作業に四苦八苦しながらも必死に取り組んだものでした。

 

 そして皆さんもご存じのように、2013年9月には、東京が2020年のオリンピック開催地として選定されました。ここからの展開は目まぐるしく、新聞、雑誌、ラジオ、テレビにてこの問題を取り上げはじめ、取材対応する日々が続きました。多くのメディアに紹介されるなか、国会でも質問にあがり、全国に知られる活動になってきたという感触を得ました。

 

短期間に取材が殺到しましたが、公園の大切さをアピールするために全て対応しました
短期間に取材が殺到しましたが、公園の大切さをアピールするために全て対応しました

 

 この流れで、公園の自然を守りたい方々からの強い後押しがあり、ついに署名活動も始めました。署名用紙を大量に印刷して協力を募ったほか、当時はまだマイナーだったネット署名にも挑戦しました。10ヶ月の署名活動で18412筆の署名を集めて、東京都の担当者を通して知事に提出することができました。提出するために署名用紙を紐で束ねた際に、想定よりも大きく重くなった束を、嬉しい悲鳴を上げながら都庁まで持って行ったことが思い出されます。

 

 活動を始めた当初は、担当者から「計画の変更は考えていない」と言われ続けていましたが、活動の成果が実ったのが2014年6月でした。当時の東京都知事が、カヌースラローム競技会場の建設計画を見直すことを発表したのです。皆さんもご記憶にある通り、東京都は招致成功後に当初の計画を次々と変更していきましたが、葛西臨海公園の計画変更がその筆頭となったのです。招致が決まる前からの活動が功を奏したことを実感しました。

 

全国の皆さんに協力いただいた署名を、東京都の担当者へ提出しました
全国の皆さんに協力いただいた署名を、東京都の担当者へ提出しました

 

 東京都との協議をした当時は、葛西臨海公園内での計画の代案として、中央防波堤などの埋め立て地を提案していましたが、「アクセス性や他の競技施設との兼ね合いで、別の場所に見直すことは考えられない」と言われました。そこで、公園の隣にある土地に目を付けました。そこは東京都の下水道局が、将来の下水処理の需要増に対応するために確保していて、当時は主に公園の駐車場として使われていたコンクリート張りの空間でした。ここに競技場を造ってはどうかという私たちの意見に対し、「所管が違うので調整が難しい」といった後ろ向きな話をしていました。ところが、計画変更の発表からしばらく経ち、私たちが主張したこの場所に競技会場を建設することが発表されたときは、とても驚きました。計画が見直されただけではなく、代案まで採用されるとは思ってもいませんでした。

 

 

公園の緑地が守られる形に計画が変更されました 提供:東京都
公園の緑地が守られる形に計画が変更されました 提供:東京都

 

 計画変更が実現したこの活動は、私たちだけで達成したものではなく、署名にご協力いただいた関係団体や会員の皆さん、環境影響評価書や競技場の工法などについて専門的なアドバイスをいただいた皆さん、取り上げていただいたマスコミの皆さん、活動の後押しをしてくれた日本野鳥の会本部の皆さんなど、多くの方々の関心や協力があってこその成果でした。

 

 またこの活動を通して、都立公園であっても今の環境が将来も保障されているわけではないことを痛感したことから、将来にわたって東京都の貴重な自然環境の保全と賢明な利用が続くことを目指して、葛西海浜公園のラムサール条約への登録を目指す動きに発展していきました。これからも野鳥を観察するだけではなく、野鳥がすむ環境を守るための活動にも力を入れていきたいと思っています。