43年目の鹿児島県出水(前編)

西村 眞一(善福寺公園探鳥会 担当)

 1月22日23日と鹿児島県出水市に鶴を見に行ってきた。

 出水市の鶴は、江戸時代から鶴の越冬地となっている。『45年目の宮城県伊豆沼』にも書いたが、1976年11月の伊豆沼探鳥会参加後から、本格的にバードウォッチングにはまった。翌年には、ほぼ毎週のように当会の探鳥会に参加した。東京都内はもちろん、関東近県や軽井沢、愛知県の鍋田干拓地や伊良湖岬などにも遠征した。その内に、冬の九州の鳥と冬の北海道の鳥に憧れるようになった。

 

 43年前の1979年1月に当会の「荒崎探鳥会」に参加した。荒崎とは、越冬鶴のいる出水市の干拓休遊地の地区名である。1月12日(金)18時24分東京駅発の東海道新幹線“ひかり”で京都駅まで行き、京都駅で寝台特急“なは”に乗り換え13日(土)10時に出水駅に着いた。13日14日15日と出水で探鳥し、15日(月)の午後に熊本へ行き熊本空港から羽田空港へ帰京した。当時の鶴の数は約3,500羽ほどだった。

 

 今回は、当会の遠出探鳥会の旅行業務を委託していたH旅行社のツアーだった。新型コロナ感染拡大防止に留意して、参加した。1月21日に長崎空港から諫早干拓地(長崎県諫早市)、東よか干潟(佐賀県佐賀市)をバスで巡った。諫早干拓地では、ヨシ原の上を飛ぶハイイロチュウヒやアトリの群れを見た。

 

諫早干拓地 1月21日

 

有明海に面する東よか干潟は日本一の面積の干潟と言われ、訪れた時はちょうど干潮の時であったので、あまりの広大な干潟に驚いた。干潟にはダイシャクシギやハマシギの群れがいた。アボセット(ソリハシセイタカシギ)が12羽もいた。アボセットは1羽いても珍しいのに12羽もいるのにはこれも驚いた。その他ズグロカモメもいた。

 

東よか干潟 1月21日

 

 21日は福岡県柳川市のホテルに宿泊したが、22日1時8分に突然スマホが「地震です」「地震です」とアナウンスがあり、直後に地震が起きた。日向灘を震源とするマグニチュード6.6の地震が発生した。柳川は震度4で、幸いなことにホテルは何事もなかった。

 22日は荒尾干潟(熊本県荒尾市)に行きシギやチドリを見た。荒尾干潟に着いたとたん、電線にカササギが止まっていた。カササギは佐賀平野を中心に分布しているので、この個体は熊本県まで遠征してきたのかもしれない。

 

カササギ 1月22日 荒尾干潟

 

 干潟にはハマシギやダイゼンがいて、ハマシギが小舟を係留しているロープに付着しているバイオフィルムを食べていた。

 

ダイゼン、ハマシギ(手前) 1月22日 荒尾干潟

 

ハマシギ 1月22日 荒尾干潟

 

 荒尾干潟の後に横島干拓地(熊本県玉名市)に行ったら、マナヅルが2羽と23羽の群れがいた。

 

マナヅル 1月22日 横島干拓地

 

 その他にもクロヅルが1羽いた。マナヅルやクロヅルを出水以外で見たのは初めてであった。海にはマガモの数千の群れがいた。

 南下した球磨川河口(熊本県八代市)の干潟には、アオアシシギが6羽いた。

 

アオアシシギ 1月22日 球磨川河口